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四万十川ウルトラマラソン チャリティー
南三陸町編 |石巻編

ボランティア レポート 2011.5.27~29

南三陸町編

支援物資
みなみ三陸町へ

5月10日の無料チャリティーセミナーで頂いた食糧物資と化粧品を車3台で現地に向かいました。
1台に約500人分の化粧品を積んでいます。物資をご提供してくださった皆様、ありがとうございます!


現在では食糧は日本各地から集められていて、足りないっという状況ではないみたいです。しかし、化粧品っといった高価なものはほとんど物資提供がないので、避難所を訪問するときのアポイントで「是非お願いします」と断られたことがありません。


東北道の高速を走っていくと、緑豊かな田園風景が広がっていきます。

 

津波の被害


沿岸部に向かっていくにつれ、テレビで報道されている景色に変わっていきます。
実際に自分の目で見てみると、その被害の大きさに茫然としてしまいました。。

自分たちにできるコトをしよう。
今回のボランティア活動では化粧品を避難所の方たちに物資の提供としてお配りするだけでなく、
お年寄りの話し相手になってあげたり、子供の相手をしてあげたり、
小さなことかもしれないけれど、相手に喜んでもらえればそれでいいじゃないかっという気持ちで 活動してきました。

「私たちは微力かもしれないが、無力ではない」
一緒に参加してくださったメンバーの一人の印象に残った言葉です。

南三陸町の避難所を訪れ、化粧品をまず配らせて頂きました。化粧水と美容液とシャンプーの3点セット。
とても喜んでいただけましたよ。

来日 記念撮影お礼状

配っている風景です。

雨が降っていて寒かったので、たき火にあたっているお父さんたちに混ざってお話をさせて頂きました。

震災直後は生きるためにみんなが協力し合った。
殆ど食糧や水がない中で2日~3日も過ごした。
一番最初に救助に来てくれたのはアメリカ軍だった。


お話を聞かせて頂いて、人間 追い込まれたら何をしてでも生き抜くという力強さを感じました。
今では笑って話してらっしゃいましたが、実際の現場では時間の感覚もも全くなく、
ただ生きることにガムシャラに活動をしたっと話されていました。

悲しい現実笑顔

そして話を聞かせて頂いて、私が感じた「悲しい事実」をお伝えします。
これは物資の集積所の写真です。

このように山積みになってる物資ですが、非常に残念なことに、
避難所にちゃんといきわたっていないっという事実がありました。
本来ならこれらの物資は、避難所からニーズがあった時に配られるもの
とのことですが、各地の避難所の方たちが同じようにこのように言います。

「物資のニーズを上げても、全然配られてこない。」

ある政府指定の避難所では、
「1日3食 しっかりと出るんだから、物資なんて必要ないじゃないか」と、
水やティッシュなどの身近な日用品も与えてもらえなかったそうです。

集積所のほうにも都合があるかと思いますので、一概に何とも言えませんが、

もし物資を被災地の人たちに提供したいと思われている場合は、
避難所を回る、もしくは避難所に直接送ることをオススメします。


s 今回の2日間では本当に貴重な体験をさせて頂きました。

笑顔笑顔

町が壊滅的な状態のなかでも、避難所には笑顔があり、
多くの人たちが前に向かっていると感じました。
一回だけの支援で終わるのではなく、これは継続的に行っていきたいと思っています。

ボランティア レポート 2011.5.27~29

石巻編

28日の朝、車で石巻市に入ると普通の街並みが続きますが、
海岸沿いにでた途端、津波の爪跡が・・・

1階部分は流され鉄筋がむき出し。
異様な臭いがたちこめて、被害の深刻さを感じさせます。

TV画面ではなく、初めて自分の目で見た現実に
言葉を失いました。


そのまま、土砂崩れや道路の陥没もある山道を越えつつ
牡鹿半島の先にある避難所へ。

避難所では食料などはあるものの

やはり化粧品などはないので非常に助かると

喜んでいただけました。



市街にもどる途中にも、何箇所か避難所の標識があったので
立ち寄ることにしたのですが、
小網避難所にいた漁師の方のお話が心に残りました。

ここは10人位の人達が共同で生活し
避難所としています。



自衛隊の援助はもちろんあるが、
最近はだいぶ少なくなっていて
食料ではなく日用品の配給になっている。
それこそ民間のボランティアの人達のおかげで
今は生きていけているようなものだ。
市街に出れば食料なども買えるようになったが、
いつまでもつのかが不安。

家も船もなく、当然仕事も出来ない。
これから再生しようにも海の瓦礫を取り除き、
養殖の準備をしなくてはいけないが、
何年かかるか分からない。
もし再生できても風評被害などもあり
売り先がないだろう。


それでも今まで30年近くもずっと漁師で
今まで他の仕事をやったこともない。
これからやることも無理だろう。
たとえ厳しい状況でも子供達のためにも
漁師という仕事を残せるように
頑張っていくしかない!


そして今回の震災で人の温かさを実感した。
本当に色々な人達の支援のおかげ。
もし他の地域で同じような被害があったら
絶対に駆けつけて恩返ししたい。


この漁師の方は涙ながらにお話してくださいました。



そして中学校の避難所にも行きました。
ここでは化粧品の他に、食料も不足気味ということで
セミナーのときに皆さんに持ち寄っていただいた
レトルト食品もお渡ししてきました。

この避難所では今後の物資配給不足も含め、
夏に向けての準備もしているそうです。

これからはTシャツやタオル、
冷えピタとなどが必要になりそうです。

ここでも漁師の方がいてお話を聞いたところ、
やはりこれから先、どうすればいいのかが分からないということです。

仕事がない

ということが不安をより大きくさせているようです。
なかなか本当の復興となるまでには
時間やお金もかかりそうですが、
少しでも早く現地の人達が安心して
生活できるようになるのを祈るばかりです。

もちろん祈るだけではなく、
現地に行ってお手伝いなどすることや、
現地に行かなくてもできることを
継続的に支援していくことが
とても大切です。


Are You Happy? Japanでは
これからも継続的に支援する方法を
模索していきます。
是非、みなさまもご協力をお願いいたします。

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